仁保耳鼻科

仁保耳鼻科

院長日記

休日診療所の感想

2015.05.05
普段の休日診療所の診療は内科医と小児科医の2名が行い、月に一日、耳鼻科医が加わる。普段は70名の来所だが5日は130名が訪れた。疲れが取れるまでに3日かかった忙しさだった。 7歳、急性期のめまいの子供や1歳、9度の熱の急性中耳炎の乳児などの他に反復性中耳炎の子供が多かったことが印象に残った。反復性中耳炎の子供の以前の治療法を聞くと皆薬剤の治療が行われていて親は今回も同じ治療を希望した。子供は正しく ....

ホームペイジ更新

2015.04.26
近くホームペイジが更新されます。いつの間にか10年が過ぎていました。その間に耳鼻科の状況も変わり、私の知識も力も変わりました。新たな”患者さんの声”も得てリニューワルできましたので皆さんの力になれることを願っています。

校医への生徒からの手紙

2015.03.27
公立の小学校の校医を辞めることになり、二つの小学校(白幡、幸ヶ谷小)の校長が花束と生徒の手紙をもってお礼に訪れてくれた。花束は見たことがないフリーズドドライと豪華な生花のものだった。手紙には病気を発見したことへの感謝のことばがあった。 二つの小学校の校医は父の代から務めたので合わせると60年を越えた。父は補助者を連れて行き頭を固定させてから診察していた。正確に診察するにはそうしなければならないので ....

学童健診の季節の到来

2015.03.20
学童健診の季節が始まり、昨日S学院小学校生徒300名を健診した。印象の第一はこれまでの病気の傾向が一層強まった感があったことだ。副鼻腔炎と診断した生徒は1名だけで、アレルギー性鼻炎をもつ生徒は少なくなかった。中耳炎の治療のためのチューブを過去には入れたという生徒はいたが、チューブを入れていた生徒はいなかった。これまでは副鼻腔炎と診断した生徒は数名いたし、チューブを入れた生徒も診たが、いなかったこと ....

神奈川区医師会会報No.695(2月号)

2015.02.11
2月末に区医師会報2月号が届いた。私の原稿、”安彦洋一郎先生を偲ぶ”と”選挙に見る審判の厳しさに医業と医師のあるべき姿を思う“が掲載されている。 ”安彦・・・”は多芸多才の先生が多くの感動を皆に与えて下さった生涯を偲んだものだ。最後に墨絵の「焼岳」と特攻隊員に成りそびれた思いを綴った「特攻隊に想う」を残されたことは生涯を閉じるために相応しいものと考えた。 “選挙・・・”は第47回衆院選挙に現れた政 ....

小児副鼻腔炎患者のCT撮影

2015.02.09
2月に名古屋市から6歳の子供の副鼻腔炎患者が上顎洞洗浄を希望して来院した。名古屋市のふたつの耳鼻科で4カ月の間をおいてCT撮影が行われていた。新薬も投与されていたが副鼻腔炎は悪化していたための来院だった。乳幼児の場合CT撮影は脳に悪影響を及ぼすことが報告されているので撮影は慎重でなければならない。CTを備えることは名古屋の土地柄なのか。備えると撮影しなければならないので撮影したのか。実際は撮影も新 ....

小児の発熱

2015.02.08
先々週の土曜日2年前から重症の鼻副鼻腔炎・咽喉頭炎のため通院し先月漸く改善した10歳の子供が再び悪化して来院した。来れない事情があったため耳痛と発熱の時小児科にかかっていたがウイルス性疾患と診断されて抗菌薬が投与されなかったための悪化だ。昨日来院した時には扁桃炎は治癒していたが鼻炎は継続していた。小児科医の疾患の解釈に大きな違いがあった。 先週4,5歳から発熱をくり返し6歳の時当院を受診した子供が ....

1月第一週 ― 仕事はじめ

2015.01.08
5~7日の間正月日程で午前のみ診療し8日から通常の日程の診療に戻った。来院する患者は多く10日(土)は8:45~12:45の間に20人を診た。私の診療法では4時間の間に20人を診るためには休みなしで診なければならない。背中から腰の筋肉が張り翌日になっても取れなかった。歩かなければならないと考え強風の中1時間材木座から大町を歩いた。海は初めて見た荒れ方だった。バス通りのいろいろの店が開いていて独特の ....

2015年正月 ― 初歩きと初診療

2015.01.01
元日午後2時間余りかけて材木座の東端まで歩きその後材木座と大町の神社仏閣を詣でた。海では多くの若者がサーフィンに興じていた。冬の海のうねりは愛好者にとってたまらない程のよいものだそうだが私には無縁のことだ。寺には大きなものがあったが神社は皆小さかった。しかしどこにも信心をもつ人が集まっていた。鎌倉には横須賀線で何十万人の人が参詣に訪れる八幡宮と町の中にある小じんまりした神社のふたつがある。しかしお ....

神奈川県医師会報11月号

2014.11.08
神奈川県医師会報11月号に「戦争を語り継ぐ(3) 戦争の恐怖 ナパーム弾の非道と残虐性」が掲載された。8月に放映されたNHKスペシャル「狂気の戦場 ペリリュー」を見て感想を記したものだ。この画面には開発されたばかりのナパーム弾の爆撃と火炎照射の姿とその被害が写されていた。さらに守備隊は全員玉砕を司令部から命じられていたこと、その直前には食料や弾薬が尽きたため切り込みによる最後を司令部に隊長が嘆願し ....
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