仁保耳鼻科

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院長日記

庭と共に生きる

2010.03.08
神奈川県医師会報新春随想増刊号2010年に掲載された。昨年3月に鎌倉に新居を造った。旧宅から多くのものを移して庭を造ったが、それらの生き様を見て新たな力を得た感激を記した。
家具の移り変わりとモラル
2010.02.20
日本医事新報No.4478 平成22年2月20日 に掲載された。鎌倉に引っ越した多くの家具、先々代、先代のものを含めた家具からそれらの変遷を知り、一生ものといわれるものと他のものとの違いは家具がもつ文化やモラルを変えるだろうと考えたので、その感慨を記した。6月24日、今年最後の学校健診に行った。その時生徒で最近インフルエンザにかかったこどもがいたことを聞いた。これまでもっていたが発症しなかったウイルスがいまになって活動を起したのだろう。 3,4年前に8月に沖縄で発症したインフルエンザ症例のことを聞いた。これも同じケースだったのか。  この週にNHKの「ためしてがってん」の製作担当者から症例の紹介を依頼された。該当する症例はいなかったので断ったが、普 ....

混沌の中で生きる

2010.02.08
神奈川県医師会報No.719 平成22年2月号に掲載された。北大医学部神奈川県同窓会(神奈川フラテ)が新たに会員の参加を募り相互に発展するためにホームペイジを作るので、その趣旨を記した。

吉尾克己先生の思い出

2009.12.08
神奈川区医師会報No.633 平成21年12月号に掲載された。同じ耳鼻咽喉科医であり父と私とも交友があつた方だ。偲ぶ文を捧げご冥福を祈った。

患児の大学卒業と入学

2009.09.08
今春こどもの頃から来院していた2人がそれぞれ大学を卒業・入学した。ひとりは私の母校が北大であることを知り憧れて入学し卒業した。他は私のような医師になりたいといって医師になる道を選び慈恵医大に入学した。二家族とも祖母、親、こどもの三世代の人たちが私をかかりつけ医としている。家族ぐるみのお付き合いの間柄なので我がことのようにうれしい。またこどもの眼の恐ろしさも感じている。
今年のお盆
2009.08.13
神奈川区医師会報No.629 平成21年8月号に掲載された。鎌倉で迎えるお盆の感慨を記した6月24日、今年最後の学校健診に行った。その時生徒で最近インフルエンザにかかったこどもがいたことを聞いた。これまでもっていたが発症しなかったウイルスがいまになって活動を起したのだろう。 3,4年前に8月に沖縄で発症したインフルエンザ症例のことを聞いた。これも同じケースだったのか。  この週にNHKの「ためしてがってん」の製作担当者から症例の紹介を依頼された。該当する症例はいなかったので断ったが、普 ....

6月20日神奈川フラテ会学術講演会・総会

2009.06.20
今年の講演は、同窓の日本医師会副会長宝住与一先生が”私の医師会活動と今後の方向”について話された。ご造詣の深い歴史から学んだ彼の哲学を基にした日本医師会の信念を話されたので、聴衆に感銘を与えた.期が近いので大学で顔を合わせていたはずだ。何となく記憶があるような雰囲気の中で、総会と会食、最後の”都ぞ弥生”斉唱まで共に楽しく過した。同窓の繋がりと良さを改めて知った一日だった。 私は宝住副会 ....

6月16日神奈川区医師会校医総会

2009.06.16
総会の冒頭、鈴木小児科の鈴木與志晴先生が”夜尿症”について詳細な口演をされた。私も幼児期から現在(高校生)まで診ている患者が同じ経過を辿っていたので、興味深く聴いた。同じ小児科の大西三郎先生が、夜尿症の患者は皆鈴木先生のところに送っているというコメントをされていた。難しい病気なので、専門の医院で長く診てもらうことが必要だろう。

6月13、14日北大ラグビー部と共に創基85周年を祝う

2009.06.13
85周年記念祝賀会の前日(13日)、現役はマンダラ東京、一橋大と試合し、夜首脳陣(部長、コーチ、と現役)は私たち(実行委員会)と会食した。14日、現役は11時から桜岡日本協会公認レフリーのルール解説、12時からOBとのゲームの後、祝賀会に出席し、帰札した。OBはさらに総会に出席し、クラブの新しい運営法を協議した。東北大、九州大と帯広畜産大から来賓の出席があった。私はOB会会長として、北大ラグビー部 ....

12月14日ラグビー大学選手権関東第五代表決定戦の応援

2008.12.14
ユアテックスタジアム仙台で筑波大と対戦した北大ラグビー部の応援に、仙台に行った。朝雪が降ったので凍える寒さの中の応援になったが、多くのOBと共に応援したことはよい親睦にもなっただろう。関東の一部の中で揉まれている筑波大と北海道でプレーしている北大のラグビーの差と体格、身体能力の差がが現れた試合だったが、北大は終始果敢に戦った。後半の失点が前半の失点の半分だったことが、それをよく表している。しかし、 ....